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ツアーインストラクターの法学部3年生の秋元さん
はきはきとした物言いをする礼儀正しい、知性的な現役女子大生である。 |
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集合場所の会津八一記念博物館風景 |
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集合場所の会津八一記念博物館(旧 本部図書館) |
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演劇博物館
シェークスピア時代の劇場を模したもので、坪内逍遥や歌舞伎など演劇に関する展示物があり、早稲田の見学コースには必ず上がる。最近は演博(えんぱく)と言われているとのことである。 |
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演劇博物館 坪内逍遥像
何時出来たのか知らないが、像の右手と握手すると早稲田と縁が出来、合格する、と言われているそうである。受験を控えた女子高生が握手していた。 |
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14号館(社会科学部)で開催されていた講演会講演会
かっての箱根駅伝のエースで、ヱスビー陸上監督の瀬古利彦は来年25周年だそうである。
社会科学部は入学した昭和41年に夜間の第二法学部、商学部、政経学部を統合して出来た夜間学部である。その後第二理工学部は廃され、吉永小百合などが卒業した第二文学部が現在も残る。 |
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総合学術情報センター(旧 安部球場)
我々には旧安部球場の方が馴染みがある。右手は国際会議場、左手は中央図書館である。 |
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総合学術情報センター(旧 安部球場)
後述する早稲田ナショナリズムの権化のような建物で、全体として「W」の文字を描いている。 |
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早稲田大学中央図書館
中は撮影できないが、かっての図書館(理工学部生は本部図書館と言い、現在の会津八一記念博物館)の重厚さは無いが、落ち着いた設備の整った図書館である。 |
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早稲田大学中央図書館 |
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総合学術情報センター(旧 安部球場)にある安部磯雄像(右)と飛田穂洲像(左)
早稲田大学野球部の創設者で、「早稲田の野球の父」である安部磯雄の功績を讃えて作られた球場で、最初の早慶戦とか、出陣学徒の壮行早慶戦など多くのエピソードがある。飛田穂洲は早稲田大学の選手、監督で、「学生野球の父」と称された。 |
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早稲田ナショナリズム
車両進入停止線であるが、黄色の直線ではなく、スクールカラーのエンジ色の「W」の形をしている。撮影禁止であるが、中央図書館内のソファーや階段の手すりも「W」となるデザインである。
慶大生は、早稲田には校歌がなく、応援歌が校歌代わりに歌われている、と揶揄する。。言うまでも無く、「都の西北」は「早稲田、早稲田、早稲田」のエールで終わっており、ほとんどの応援歌も同じ形式である。これを早稲田ナショナリズムと称するが、早稲田生はむしろ誇りに思っている。 |
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早稲田ナショナリズム
喫煙所のタバコまで「W」である。ここまで徹底していると笑ってしまう。 |
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稲門祭風景
中年女性がほとんどで、現役女子大生を期待していた人からはため息が出ていた。 |
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稲門祭風景 |
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新築中の法学部8号館 |
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早稲田の象徴 大隈重信像
大隈重信像と言えばこれしかない、と思っていた。ワセダ今昔探訪ツアーの最後にその謎が明かされた。 |
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早稲田大学の象徴 大隈講堂 |
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早稲田大学の象徴 大隈講堂
時計台の高さは125尺で、大隈侯の人生125年説に因んでいる。 |
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大隈講堂 時計台内のクリントン元大統領記念講演の横断額
時計台の中の小部屋に飾ってある。ケネディ大統領を深く敬愛するクリントン元大統領は、弟のロバートケネディ司法長官のエピソードに深く感銘し、来日の際、早稲田大学を指名して訪問した。
昭和37年(1962年)に早稲田を訪問した司法長官は、2年前の60年安保の影響で激しい野次と怒号に包まれ、大隈講堂での講演も険悪な雰囲気になっていた。その時当時の応援部の部長が演壇に上がり、司法長官に対し都の西北を捧げた。騒然とした講堂も全員の校歌斉唱に覆われた。これに感激した司法長官は、2年後の再訪時には歌詞を全て覚えてきて、共に歌ったという有名なエピソードである。 |
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時計台から見たメインストリート
特別な時しか入れない時計台からのこのアングルは有名である。 |
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時計台の時計の裏側
言うまでも無く東西南北の4面ある。時計の針も大きいため、17秒掛けて分針を動かす。 |
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大隈講堂に設置されている大礼服姿の大隈侯の像
メインストリートにあるガウン姿の大隈侯の像は、本来この大礼服姿の像だった。しかし、官僚の着る大礼服は早稲田にふさわしくない、との声が上がり、現在の像になった。これも普段は入れない所にある。ちなみに顔が向いている方向は、旧大隈邸で現在の大隈庭園である。 |
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大隈侯の像から見た大隈庭園
大隈庭園では園遊会が行われている。 |
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大隈講堂では、福引抽選会が行われている。
司会は昭和38年第一政経学部卒で、フジテレビアナウンサーとして有名な露木茂である。 |